目からウロコとは、正にこの本の事です。
私はクリスチャンですが、今までどうも聖書や教会での教えに違和感を感じていた事が著者の丁寧な説明で溶けました。
信徒なんだからよく分からないけど飲み込もう。いつかは分かる日が来るだろう。洗礼を受けたのだから、貧しい人に何かしなくては…。全部ちがいました。
クリスチャンではない人も読んで欲しいです。宗教に対する考えが変わると思います。
イエスキリストは、天高い所から可哀想な私達を見ている方ではないです。
地を這う貧しい人を、縁の下から持ち上げてくださる方でした。
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釜ケ崎と福音: 神は貧しく小さくされた者と共に 単行本 – 2006/3/28
本田 哲郎
(著)
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釜ケ崎の20年―生きられた福音
- 本の長さ243ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2006/3/28
- ISBN-104000224638
- ISBN-13978-4000224635
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2006/3/28)
- 発売日 : 2006/3/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 243ページ
- ISBN-10 : 4000224638
- ISBN-13 : 978-4000224635
- Amazon 売れ筋ランキング: - 38,865位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10位キリスト教史 (本)
- - 27位キリスト教入門
- - 56位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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2019年11月18日に日本でレビュー済み
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真の信仰とは何かを考えさせられる本です。
2016年12月9日に日本でレビュー済み
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わかりやすい内容でした。勉強になりました。一度は読んで見ても良いと思います。
2015年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キリスト教徒は、神の選びの本質を無視しているという指摘が胸に突き刺さる。
神は洗礼を受けたキリスト教徒を選んだのではなく 人から人として扱われず、追いやられ小さくさせられてしまった人々を選ばれている。
「神の選びの本質」を 聖書の中でどのような人物が選ばれているか、またイエスの語られた言葉からひも解き、そのことを釜ヶ崎にいるホームレスにされてしまっている人々の感性から学んだことを語られています。
福音とは何か 神の国とは何か 神とはどこにいてくださるものなのか せまってくるものがあります
神は洗礼を受けたキリスト教徒を選んだのではなく 人から人として扱われず、追いやられ小さくさせられてしまった人々を選ばれている。
「神の選びの本質」を 聖書の中でどのような人物が選ばれているか、またイエスの語られた言葉からひも解き、そのことを釜ヶ崎にいるホームレスにされてしまっている人々の感性から学んだことを語られています。
福音とは何か 神の国とは何か 神とはどこにいてくださるものなのか せまってくるものがあります
2015年5月6日に日本でレビュー済み
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炊き出しの列に並ぶイエスキリスト。奉仕する側ではなくサービスを受ける弱くされた者の側におられる神。
本田牧師と同じく、クリスチャンとして聖霊の働きで恵みを貧しい人に与えるような態度を取っていましたが、何か大切なことを見逃してきたような思いに駆られ本書を購入しました。
霊的な目が開かれ、大切なことを多く学べる本です: イエスキリストご自身も弟子たちもクリスチャンであったことはなく、ユダヤ人として、キリスト派として生きたこと、聖なる者として神から報いを受けるために貧しさを競う必要はないが、神が福音を伝えらるために世に遣わされたのは貧しい人だったこと、そして弱く小さくされた者の方が聡いことを知って関わること等々。
釜ヶ崎(あいりん地区)での実体験を通して、様々な宗教の現界やクリスチャンの間違った思い込みに気付かされ、福音の実践を続けられる本田牧師。
マザーテレサの働きに代表される、最も貧しく小さくされた人に尽くす働きの意味をこの本を読んで少し理解出来たように思います。
本田牧師と同じく、クリスチャンとして聖霊の働きで恵みを貧しい人に与えるような態度を取っていましたが、何か大切なことを見逃してきたような思いに駆られ本書を購入しました。
霊的な目が開かれ、大切なことを多く学べる本です: イエスキリストご自身も弟子たちもクリスチャンであったことはなく、ユダヤ人として、キリスト派として生きたこと、聖なる者として神から報いを受けるために貧しさを競う必要はないが、神が福音を伝えらるために世に遣わされたのは貧しい人だったこと、そして弱く小さくされた者の方が聡いことを知って関わること等々。
釜ヶ崎(あいりん地区)での実体験を通して、様々な宗教の現界やクリスチャンの間違った思い込みに気付かされ、福音の実践を続けられる本田牧師。
マザーテレサの働きに代表される、最も貧しく小さくされた人に尽くす働きの意味をこの本を読んで少し理解出来たように思います。
2013年3月2日に日本でレビュー済み
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著者は、世間一般の人が「神父」という人種としてイメージする
ものとは、外見も中身も、おそらく全くかけ離れた人物だろう。
聖書の理解と実践の仕方も、多くの先進国のカトリック教会の
「主流派」から見ると、逸脱し過ぎていると思えるかもしれない。
しかし自分には、本田氏のような神父こそ、本当のイエスの心に
かなう司祭だと思えた。ただ「小さくされた者」は、釜ヶ崎や
山谷、寿町だけでなく、国内にも世界にも、あらゆるところに
いる。障がいを持った人や、差別を受けている人、収奪を受けて
いる人……さらに視点を広げて「小さくされたもの」の現実を
書いた著作を、今後期待したい気もする。
ものとは、外見も中身も、おそらく全くかけ離れた人物だろう。
聖書の理解と実践の仕方も、多くの先進国のカトリック教会の
「主流派」から見ると、逸脱し過ぎていると思えるかもしれない。
しかし自分には、本田氏のような神父こそ、本当のイエスの心に
かなう司祭だと思えた。ただ「小さくされた者」は、釜ヶ崎や
山谷、寿町だけでなく、国内にも世界にも、あらゆるところに
いる。障がいを持った人や、差別を受けている人、収奪を受けて
いる人……さらに視点を広げて「小さくされたもの」の現実を
書いた著作を、今後期待したい気もする。
2015年7月25日に日本でレビュー済み
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今までのステレオタイプのキリスト教観を崩してくれます。現役の神父がそこまで言うかぁと感じながら読んでます。神父といえども弱いのよ、弱いんを神様がちゃんと見てくれているのよ...繰り返し語ってくれます。
2017年8月2日に日本でレビュー済み
聖書には、クリスチャンでなくても知っている有名な言葉がたくさんある。
著者は生まれついてのクリスチャンで、教えられるまま素直に従来通りの解釈を身につけた。
しかし行き詰まり、聖書を学びなおした結果「従来の解釈にはには誤ったものが多い」と気づき、本書の中で自身の解釈を披瀝してくれる。
その解釈はクリスチャンでなはい私にも、むしろしっくりくる。
「なるほど本来そうであるべきだよなぁ」と思える解釈である。
恐らく、カトリックである著者が、聖書に新たな解釈を加えることはかなりの冒険なのではないかと思う。
イエスの説く本当の教えを解ってもらいたい、という熱意の現れだろう。
ただ、最後に至って「弱き者とともに行動しなければならない」「行動はどうしても社会的、政治的にならざるを得ない」と説く。
「具体的にこういう行動をせよ」と説くわけではないが、イエスもそのように行動したと言う。
イエスがそうであったかどうかは私には分からない。
しかし、社会的、政治的な行動を推奨する姿勢には、私は残念ながら賛成しかねる。
宗教者の行動とは何か、聖と俗の線引きはどうあるべきか、などは議論が分かれる問題だろう。
イエスの生きた時代の「社会的、政治的行動」が、今の時代と同じだったとも思えないし。
最後まで読んで、「なぁんだ」とちょっとがっかりしてしまった。
著者は生まれついてのクリスチャンで、教えられるまま素直に従来通りの解釈を身につけた。
しかし行き詰まり、聖書を学びなおした結果「従来の解釈にはには誤ったものが多い」と気づき、本書の中で自身の解釈を披瀝してくれる。
その解釈はクリスチャンでなはい私にも、むしろしっくりくる。
「なるほど本来そうであるべきだよなぁ」と思える解釈である。
恐らく、カトリックである著者が、聖書に新たな解釈を加えることはかなりの冒険なのではないかと思う。
イエスの説く本当の教えを解ってもらいたい、という熱意の現れだろう。
ただ、最後に至って「弱き者とともに行動しなければならない」「行動はどうしても社会的、政治的にならざるを得ない」と説く。
「具体的にこういう行動をせよ」と説くわけではないが、イエスもそのように行動したと言う。
イエスがそうであったかどうかは私には分からない。
しかし、社会的、政治的な行動を推奨する姿勢には、私は残念ながら賛成しかねる。
宗教者の行動とは何か、聖と俗の線引きはどうあるべきか、などは議論が分かれる問題だろう。
イエスの生きた時代の「社会的、政治的行動」が、今の時代と同じだったとも思えないし。
最後まで読んで、「なぁんだ」とちょっとがっかりしてしまった。